「使える」より「無くなるとさみしい」サービス
「時間は有限であり、活力もまた有限である」。
ならば、何に時間と活力を注力していくかは選択しなければならない。
まあ、簡単な話、何作ろうか?の話。
ここ数日自分の頭にあるのは、「便利なサービス」ではなく「無くなるとさみしいと思えるサービス」が作れないか?という思い。
使えるサービスのアイディアは割りと集めるが簡単だ。人に不満を聞いて回ればいくつかはすぐ見つかるだろう。また自分の日常においてめんどくさいと思っていることを探せばいい。
しかし「無いとさみしいサービス」のアイディアはどうやって探せば良いだろうか?
そもそも「無いとさみしいサービス」サービスとは?
- 面白いサービス
- 楽しいサービス
- 温かいサービス
- 心が休まるサービス
- 誰かと競い会えるサービス
- 誰かと分かち会えるサービス
- 笑わせてくれるサービス
- 励ましてくれるサービス
- 叱ってくれるサービス
- 誉めてくれるサービス
形容詞レベルであればいくらか思い付く。共通していることは、全てコミュニケーションに関連しているということだ。「無いとさみしい」を感じるサービスには心が必要なのだ。
それがSNSだったりBlogであったり、blogペットだったりTwitterだったりするのだろう。
SNS,blog,Twitterは心の場を提供するサービス。
blogペットは、仮想ペットに心を求めるサービル(しかし飽きが早い。しょせん機械は機械。)
今は、AIが心を持つほどには至ってないので、心の場を提供するコミュニケーションサイトが人気なのかも知れない。
Googleに心はあるか?
僕がGoogleの好きなところは、出来る限り機械任せにして人間は関与しないということだ。Yahooのようなディレクトリ検索(もう最近は聞かない?使わない?)は、世にサイトが増えるほどスタッフを用意する必要があるが、Googleはサーバを追加するだけでいい。
そんな機械任せのGoogleは「便利」であって「心」はサービスしないのか?
Googleの「心」はページランキングなのかもしれない。
ページランキングには、優しさ(H1タグに入っているよ)や思いやり(いっぱいリンクされてるぺーじだよ)があり、人々に使われ続けているのではないだろうか?
という考えはこじつけすぎると反省。
コミュニケーションの場を提供する以外の「心」のサービス
人力に頼らず機械仕掛けで「心」を提供するサービスは作れないだろうか?(しゅ、宗教ではないです。書いててちょっと怖くなってきた。)
思いつきません。もうちょっと電車の中で考えてみます。
「やっぱり人だよねー」で落ち着きそう。それで落ち着かせた方が無難そう。